あえるしー倶楽部は、心とKokoroでつなぐココロ的文化サイトです。
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ヘロ ヒロの今週のほっと一息
 ● 日本人初のNBA選手が誕生!
田臥勇太さん、やったね。
日本人初のNBA選手が誕生!
11月1日、フェニックス・サンズの12人の開幕ロースターに選ばれた。NBAは2日(日本時間3日)に開幕。
田臥さんは、3日(同4日)に地元フェニックスで行われるアトランタ・ホークスとのチーム開幕戦で背番号「1」をつけ、公式戦の舞台に立つ。
この一報を聞いて武者震いがしてきた。なぜかって?それは家の仏壇の横に彼のサイン入り色紙が後生大事に飾ってあるからなのです。野茂さんの時も歴史的感動だった事を思い出す。そして、今のこの鬱蒼とした時代を吹き飛ばしてくれる素晴らしき出来事です。
NBA JAPANの記事を読む⇒http://www.nba.com/japan/040907_tabuse.html
PHOENIX SUNS ⇒ http://www.nba.com/suns/
(GYO HERO HIRO)
 ● 花粉症。(2004年度)
一年ぶりに耳鼻咽喉科に行きました。
今年は花粉症での緊急通院はなく、日課の鼻、眼の洗浄効果なのか、花粉が少なかったのか、いずれにしても比較的順調に過ごせました。
おそるおそる受診。昨年は、ちかちか花火のファイバスコープを持って、やおらのしかかられ
「こりゃひどい、こりゃひどい」を連発されるは、看護士さんには頭を押さえ付けられ「我慢して下ださ〜いっ」といわれ椅子にのけぞったあの恐怖がよみがえる。
しばし待ち合い室で待つ間、ひどかったら、もし手術しましょうと言われたら うぅん どうしよう。
「いと〜さん  ど〜ぞ〜」
レントゲンを撮られ説明を受ける
「右下と左上が少し〜」
「ほらこちらが正常な方の写真です」
「こちらがあなたのです、ちょっとちがいますでしょ〜」
おぉ〜っ、判りやすい説明(^O^)/
   この間知り合いのつきそいで行ったE病院のK医師は、
   目にもとまらぬ速さで数枚のレントゲン写真を入れ替えし、
   「ということです〜っ」と言う説明なのか奇術を見せられたのか、一同唖然。
「では、ファイバでみてみますね〜」
きた〜っ(>_<)、あのちかっちかっ花火のファイバた(*_*)
   昨年のE病院では、やおら上を向かされ、
   「頭を動かないで下さいね〜」と看護師さんが頭を抑え
   「少し痛いですよ〜」と言い放ち
   ちかちか棒を持って、大きなマスクの上でギョロットした眼の医師は覆い被さるように迫ってきた
   「こわ〜っ」
   「痛たくても我慢して。はい、もう少し我慢して。」
   「をーっ、ひどいな。こりゃひどいな」を連発。…という恐怖を思い出してきた。
「はい、顎ひいてください〜」
えっ、顎ひくのっ、ぎゃくじゃないのね、はい、顎ひくのね
「痛かったら言ってくださいね」と幾度も言ってくれるは看護士さんも
「我慢しないでいつでも言ってくださいね」
「大丈夫ですか〜」
うわ〜っ 優しい(^O^)/
「おぉっ、綺麗ですね」
「ではこっちもみますね。あぁ、綺麗だ〜」
「はい、おつかれさま」
ふぅ〜っ、一年前の悪夢は何だったんだ。開業医と総合病院の差なのか。
いずれにしても大事ではなかった(^O^)/
(GYO HERO HIRO)
 ● 首都でみたのも。(新幹線ホーム)
新幹線の折り返し運転等でお目にかかる車内のおそうじ風景は、いつみても手際よいのに感心させられます。
今回特に心に残った事は、一列に並んで待ち構えるスタッフの方々がとても頼もしく見えたことでした。そして、持ち場の車両に入ると出入口に”おそうじ中です”の文字とかわいいイラストの札がかけられました。
上越新幹線・MAX MAX入口 ←にかかった札 お掃除を待ち構える人
(GYO HERO HIRO)
 ● 夢かぶき人形。 
丹精凝らした和紙の人形。
そのそれぞれのお顔は、見事にその場面場面での表情をとらえている。
今にも語りかけてきそうなその出で立ちは、見事としか言いようがない。
中でも気に入ったのは、脇の引き立て役の奴たちのデフォルメされた表情とコケティシュな姿である。
※表江戸の歌舞伎小屋・表通り義経干本櫻「狐忠信」(部分)
入場券裏書より転載⇒
鮮やかに蘇る、庶民の熱気、江戸の興奮。
出雲の阿国からはじまる、かぶき400年の変遷と
魅力を迫力たっぷりの人形ジオラマで創作。
華やかな舞台風景、芝居小屋の賑わい、
舞台を支える職人の喜怒哀楽など…
江戸の人々の姿を通して、
かぶきドラマの裏表をたっぷりとご覧いただきます。
総数1,200体の人形たちの活躍に乞う、ご期待!

(GYO HERO HIRO)
 ●ポケットモンスタ世代
名古屋で開催されたポケモン・フェスタへ無事に行ってきました。
初めての道中は、思ったより分かりやすい道でした、国道1号線より湾岸線へと行く道も、
新らたにできた豊明ICから入れました。

世界のポケモンを肌で感じてみようと行ったきました。
まだ、カルチャーショックから抜け出せれません。

会場の駐車場の白系のBOXカーからは、30才代のファミリーが圧倒的に多いと察する事が出来ました。

また、ポケのイベントも良く構成されていました。
さらに、ポケモンビジネスの中身も仕掛けも分かりやすく、かつ良く内容も練り込まれていました、おそらくスタッフの若さが反映されているようでした。
かえりに、吉牛のサービスエリアを発見しましたo(^-^)o
(GYO HERO HIRO)
 ●花粉症。   
 ふぁるべのシーズン情報・花粉症のページへ
極度の鼻詰まりに見舞われ、つらい眠れぬ夜を過ごした。
やっと今年初の耳鼻咽喉科へ行く。

受付を済ませ、待合室の椅子に腰をかけた。。。
やっとあの悪夢のような鼻詰まりから開放されるのと思うと嬉しくなってきます。
ふっと、見上げると目の前に『花粉症治療について』のポスターが貼ってありました。
「当院では、花粉症治療にレザー治療を行なっています、出血等少なく・・・云々、お申し出下さい。」
恐ろしげな文面を読んでしまいました。あわてて周りを見渡すと、そう、花粉症らしき人は見当たりません。
人一倍小心者のワタシは、この文言で一挙に奈落の底に入りました。

「とう〜さ〜ん  」
初めの問診にたいし、
「いつ頃からですか?」
「(ううっ、)今月のはじめくらいからかな〜っ」(本当は2月中頃)
「去年は、いつ頃までつづきましたか?」
「はい、3月の終わりか、4月初めまでくらいです〜っ」(とんでもない本当は5月中頃迄ばっちりとはまるのです)
大変な重症花粉症から軽度な花粉症かな〜っという感じで回答していました。
なんてったって、レザー治療しましょうねなんて言われてら断り切れませんので。

問診が終わって最初に耳を診出しました。あれっ、鼻ななのに。
そして、「じゃ、ちょっと失礼」と言うと、
むっちゃんが言ってた様に、鼻汁をジュ〜ッと吸い出してくれました。

鼻の中を見渡した後、お医者さん
発見、発見という感じで
「すこし狭いですね、無呼吸症候群って知っていますか。」
「はい。」
「家族に人に寝ている時呼吸が止まるって言われませんか。」
「言われています〜っ。」
レントゲン撮って、それ見て「う〜ん」なんて唸っていた。
どうも、睡眠時無呼吸症候群の症例を欲しがっている様子ありありなお医者さんなのでした。
(GYO HERO HIRO)
 ●心の中に(その2)。
ふっとTVにみやると美輪明宏が映っている。
どうやら美輪明宏の生い立ちからその彼の力の源を探る番組らしい。

彼をはじめて観た懐かしい『銀巴里』の風景がモノクロで映し出される。
『メケメケ』から『よいとまけの唄』の唄が生まれる背景を
美輪が回想して語る。

5年の歳月を『よいとまけの唄』の唄を
世に出したばっかりに
貧困の中にどっぷりとつかってしまう。
こうした心に呼びかける唄は、
経済は高度成長期の真っ只中故に人の心に響かなかったのだろうか。
否である、5年の歳月を経て彼の唄は
人々の心に響いたのです。
♪きょうもきこえるヨイトマケのう〜た〜

心の、人生の渕に立ったものに
勇気と生きる感激や感動を奮い立たせる。
ここから先は、行くところじゃない。
と立ちはだかって、心に呼びかけ、
人の心の、生きている素晴らしさを呼び起こしてくれる。

こんな人たちに語りかけるところが、三輪明宏の歌う唄なんだ。
(GYO HERO HIRO)
 ●心の中に(その1)
「お花祭り」の会が終えてみんなでお昼の食事となった。
ちょうど席を隣にしたおばさんの話が耳に入ってきた。

どこからそんな話になったのかわからないが

「カケジョの時なのよ」
「カケジョって?」
「今の東高なの、私らん時はカケジョって言ってたの。」
「浜松に艦砲射撃があった時のことなんだ。」
「お母さんが子供をおんぶしていてさ。
 お母さんの着ているののは焼け焦げて、そりゃあひどいものだったんだよ。
 そのお母さんが背負っている子供の肌は、ひどい火傷で、手や足が真っ赤で、
 うぇんうぇんと泣き止まないんだよ。その手や足の火傷の上に蝿がぶんぶんと何匹もまっているんだよ。」
「私は子供心に、その子供に何かしてやりたいと思うんだが、何にも出来ないんだ。」
「出来ない自分がつらくって、今でも思い出すんだよ。」
「そう、今も忘れる事が出来ないんだ。」
「そんな人が、掛川の駅にた〜くさん居たんだよ。」
「えっ、どうして掛川の駅に居たの?」
「みんな身寄りを頼って浜松を汽車で逃げ出して来ていたんだよ。」

どこからそんな話になったのかわからないが、

戦争の悲惨さを知らない私たち世代は、こうした記憶を心の中に持っていない事は、
大変幸せと感じました。
と同時に、戦争を知らない世代としてこうした悲惨な記憶をつくらない為には、
戦争を起こさない努力を意識しなければいけないと思いました。
また、不幸にもこうした記憶を心の中に持った人たちに平和な気持ちを
持ってもらう努力を心がけていきたいと思いました。
(GYO HERO HIRO)
 「馬と牛と人」のほっと一息?
牛と馬と人が一体となった合成獣の夢を見た人のお話を聞きました。
こりゃ、今までに耳にしたことのない珍しいお話しでした。
1700年余り前の中国、諸葛孔明が木の牛を作ったという「木牛流馬」が、
良く知られているのではないのでしょうか。
牛と馬のことにまつわる話しを調べていくうちに、
彼らが、非常に人との歴史や生活の中に入り込んでいることを改めて知ることになりました。
少し、民話や歴史の中でのお話をご紹介しておきましょう。
●民話=牛と馬(名護市)
むかし、むかし、天の神様が牛と馬をお作りになったそうです。
ある日、神様が、天に馬を呼んでたずねたそうな。
神様>「馬よ、大きくなったらどんなことをしたいんだね。」
 馬>「人間がティカツ(シャリンバイの木)で、
    うむぐい(面がい)を作ってくれるなら、それがあるうちは人間を助けてやる。」
そこで、馬は柔らかい原っぱに降ろされたので、
今の馬の爪は丸くなっているのだそうです。
今度は、
神様が、天に牛を呼んでたずねたそうだ。
神様>「あんたはどうしたいのかね。」 
 牛>「私は、悪いことに、生まれつき角があるので、
    だれも寄りついてはくれんのさ。
    だから、人間の手伝いなどしたくない。
    だけど、あのティカツ木の棒きれで、鼻に穴をあけ、
    クバの葉の網をつけられたら、仕方なく手伝ってやるのだがのう。」
神様>「そうか、あんたは、人間を助けるのがいやならば、石ころだらけの山に行きなさいな。」
牛は、石ころだらけの山に降ろされた。
そのとき牛の角は、割れてしまったそうだ。

またこのお話しは、八重山諸島に多く伝えられ、
例えば、牛の爪が割れている由来もこの八重山の話によれば、
牛と馬が競走をして、牛が勝ったので神様から褒美として、ふさふさとした陰毛をもらいました。
牛はあまりの嬉しさに飛び上がったそうで、
その時、爪が割れてしまったなどという話しが残っているそうです。

●歴史=木牛流馬
 1700年余り前の中国、諸葛孔明が木の牛を作った。
孔明は、職人千人余りで人目につかない葫蘆谷というところで、木牛流馬の製作したそうです。
「これは糧食も必要なく便利なものである。 水も飲まず飼葉もいらず、日夜分かたず使える」と孔明は、言いました。
さらに、「世の中のものはみな人が制している。私は久しく南北の車を観察してきたが、
牛の歩行の原理から、この図を考え出した」と続けたそうです。
出典 名前 内容
『三国演義』 羅貫中 「木牛流馬は生きているかのように山を登り降りできる」とか、
「神兵が押出し、手に手に旗や剣を振りかざし、
木牛流馬を駆して風のように攻込んできた」
という描写がある
中国科学技術史の大家 Dr. ジョゼフ・ニーダム 『天工開物』の単輪の手押し車と対照して、木牛流馬が単輪車
「三国演義の政治と謀略観」 羅貫中 「木を獣とし生きているかのように使う」
『太平御覧』 木牛流馬を車部ではなく巧部(からくり機械)に分類
『南斉書、祖沖之伝』 祖沖之 「諸葛孔明の木牛流馬により機械を作ったが、それは風水によらず人力にも頼らず自動的に動いた」
橋梁専門家 李国豪 中学校の時から木牛流馬の製作を始めるも、成功しないでいるうちに、
国際的に著名な橋梁の専門家になった。
新彊工学院の講師 33本のロッドを組合わせて本物の牛の歩き方を真似たモデルを作り、
諸葛孔明の稀代の器械の基礎的な復元。

●合成幻獣「麒麟」にみる牛と馬と。
 グリフォンという幻獣は、フランス語でgriffon、古代ギリシャやローマではグリュプスと呼ばれました。
B.C. 2世紀のDr. クラウディオスは、 
『グリュプスは獅子の脚と鉤爪、鷲の頭と嘴を持つ四足獣で、赤い胴体に白い羽を持ち首は青い』と表現しています。

『本草綱目』のなかで、
「麒麟は瑞獣である。大鹿の姿で
尾は牛に似て馬と同型の蹄を持ち、
身体は五つの色の毛で彩られ腹は黄色い。
高さは二丈(約6m)程で、額に一本の角があり角の端は肉の塊のようになっている。
鳴く声は鐘が鳴るようで、歩調は規則正しく、必ず地形を選んで危険な所には行かない。
歩いている時は、たとえ虫であってもおよそ生物だるときは決して踏まない。
たとえ雑草であっても踏み枯らすようなことはしない。
群れをなしておらず孤高を旨とし、頗る頭が良いから、猟師の作った隠し穴や網にかかって捕まるという事はない。
こうした聖人君子の如き性格の獣であるから、国が乱れたり悪い政治家や暴虐の帝王の世に決して姿を見せない。
立派な仁政を行う帝王の世に限って現れるから、この獣が現れるのを人々が喜ぶのである。」

なんだか、今の世に必要な「馬と牛と人」のほっと一息でした。
(GYO HERO HIRO)
 気がつくと、急に寒くなっていました。
「BadTrans」や「Aliz」のコンピュータのウィルス対策におおわらわしている間に
フット気がつくと、周りは急に冷え込んで、今度は風邪におおわらは!
そこで風邪に効くツボのお話です。
兪 府 (ユフ)という鎖骨内側の真下のくぼみがそのツボです。
風邪をひいて咳や痰が出る時に、温めたり、ゆっくりと押すと良いのです。
また、胸が痛い時もこのツボを押してみてくださいな。
(GYO HERO HIRO)
 佐渡の月は、哲学的。
飛行機に乗り込むようなフェリー乗場。
乗船切符を買ったもののなにやら伊良湖のフェリーと違う雰囲気、
なんと乗船名簿を記入しないといけないのでした。

18:20発、新潟ー両津のフェリーに乗りこみ、ドラの音とともに出航。ひと寝入りしてもまだ着かない、もうこれは船旅。約2時間という刻をあらためて感じるのでした。やっと着いた両津港、季節柄かむっとした暑さは、南の国の雰囲気です。
その雰囲気を楽しみながら、のろのろと降りて、タクシー乗場へと向かったのは良いのでしたが、なんと閑散として誰あれもいないのです。
不安になってふっと振り向くと、今来た海に低くおおきく、まあるいもの、「これって、お月さん!」
佐渡で見た初めての月は、大きく橙黄色で、思慮深く、哲学的な風情を感じさせたのでした。
新潟・佐渡汽船
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  8月10日に帰国することになりました!
8月9日に、清水さんよりメールが届いた。
思えば昨年に長年勤めた仕事を辞め、「明日旅行に行きます」って携帯メールをもらったのは、今年の3月のことでした。
少し抜粋してその旅の足取りをご紹介いたしましょう。
4/10メール受信
「カンボジア、プノンペンに来ています。ここは喧騒の街という感じで…。」
シアヌクビルという海ぞいの街、アンコールワットのあるシュムリアップ、ここでは、「とても落ち着く街で、遺跡を見て一週間を過ごしました。」とのことでした。そして、バンコク、ネパールに。
4/17メール受信
「きのうまでの旧正月はコチャンという島で過ごして、今日バンコクに戻ってきました。…。」
コチャンのソンクラン(水掛け祭り)のおお騒ぎのあと、バンコク、18日には、いよいよネパール。
4/26メール受信
「こんにちは。元気です。といいつつ、実はおとといは食あたりで寝込んでいました。…。」
なんとまあ、快適なはずのネパールで、痛んだパンを食べて(50%offになっていた)、実は糸をひいていたらしいものを変わった味だなーと…思いつつ食したそうです。ネパールの人たちもよくしてくれて、ほぼ元気になったそうです。こんなときネパールは日本食などが食べれたので助かったと…。
埃っぽいカトマンズからポカラへ。
「そういえば昨日ホテルの近くで、太鼓の音(内藤さんのと同じく)がしたのです…」と街頭修行の太鼓の音を聞くなんて幸先が宜しいようです。
また、「ネパールは見たことないような花がたくさん咲いています…。」
その後、スリランカに廻って「スリ・パダ」やキャンディ、ポロナルワ、シギリアと輝ける島の世界に!
「スリ・パダ」には、5時間かけて登られたとのことでした。これには、私もびっくりでした。
イスタンブール、白亜のギリシャ、イタリー、スペイン、ポルトガル、そして、、、。
7/3メール受信
「 Watashi ha kiyou Roma kara Nice ni yatte kimashita,・・・」
「 India kara kite saisixyo ha sukosi iwakan ga arimasitaga imadeha suttukari Europe no kaitekisani narete tanosinde imasu,・・・」
そして、イギリス、フランス・・・
8/9メール受信
「 
konnitiha. 8gatu10niti kikoku surukotoni narimasita.・・・」

帰りは、オランダ経由のビジネスクラスで帰朝されたそうです。
28歳の旅を終えた清水さんは、いっそう精悍さをもって、私の前に現れた。それは、この旅の全てを物語っているのでした。
(GYO HERO HIRO)
 まめぞう」と携帯電話
 「マメゾウ」のアニメる一覧表
携帯電話の普及が、こんなにもなるなんて誰が想像したことだろうか。
最初に出会った携帯電話は、肩掛け鞄のようにして持ち歩いたものだった。
それが、コンパクトになり、おまけに通話だけの便利さからかけ離れて、まるでおもちゃのようである。
ここ数年「マメゾウ」という遊びに、ほっと一息をついてしまう時代に生きている不思議を感じる。
(GYO HERO HIRO)
「おたまじゃくし」の佃煮
久方ぶりの在所への訪問は、5月の新緑が目映いばかりの頃でした。
山すそにある水溜りのような池を覗き込むと、黒々とした塊が蠢いていました。
よーっく観れば「おたまじゃくし」達でした。その数の多さに又びっくりでした。
彼らが成長していっせいに鳴き出すことを想像すると、
そのまた圧巻さにわくわくしてしまいます。

こんなに群生している「おたまじゃくし」に出会うのは、とても久し振りの事かと思います。
澄み切った水のせいもあってか、
なんとも健康的な黒さの
「おたまじゃくし」は、やっとでた足をもがき、体をぶつけ合って遊んでいました。
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 イタリア インターネット事情

先日、”サッカー”本の記事にイタリアのインターネット事情が掲載されていた。
フラッと覗いてみると言葉がわからないなりにもダイレクトにコニュニケーションできる臨場感と安心感でほっと一息。。。
インターネットが日常的な存在となってきたイタリアでの昨今、
とかく、メディアの報道や活字の世界からのその情報(多かれ少なかれ歪みを与える)を得て、
その背景やら何やらを推察してみるしかなかった事柄が、ダイレクトに私たち一般人とコミュニケーションが取れるようになった。
これは、サッカー選手にしてみても、自分のホームページを持つことによって私たちとコミュニケーションがとれるようになったということではないのでしょうか。

最近の事例とリンク
ジネディーヌ・ジダン ユヴェントスに残留することを真っ先に自分のホームページ上で発表。
アレッサンドロ・デル・ピエロ 父の死による苦痛を世界に伝えた。
ザッケロー二 解任されたことについて書き下ろした文章を自分のホームページに載せた。
アンドレイ・シェフチェンコ 世界のファンとインターネットを通してミランについてチャットしてる。
ステーファノ・フィオーレ 自分のサイトでTVタレント、アレッシア・マルクッツィに恋をしていることまで発表してしまった。
フランチェスコ・トッティ バックにはジャーナリスト4名十スタッフ6名がフルタイムで動いているそうだ。
1日に5,000回以上、世界中からアクセスされる。(イタリアのファンがダントツの1位、2位は日本。)
ロナウド 髪の毛のあるロナウド!
ガブリエル・バティストゥータ 壁紙のダウンロードができる
(GYO HERO HIRO)
 アメリカン ヒーロ MOMO!
米大リーグ、レッドソックスの野茂投手が2度目のノーヒット・ノーランを達成したニュースが4月5日に飛び込んできました。

なんだかとても嬉しくなって来ました。
ひとりアメリカに渡り自分の道に挑戦する彼の心意気は、このニュースを聞いた人々の心に革めて、「勇気」と「挑戦」という言葉を思い起こさせたことと思います。

「米大リーグ、レッドソックスの野茂英雄投手(32)が4日(日本時間5日)、米メリーランド州ボルティモアのオリオールパークで行われたオリオールズ戦で、メジャー2度目の無安打無得点試合(ノーヒット・ノーラン)を達成。
米大リーグ史上、ア・リーグ、ナ・リーグの両方でノーヒット・ノーランを達成したのは,サイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアンに続いて4人目の快挙。
試合は3―0でレッドソックスが勝ちました。 
 先発で今季初登板した野茂は、立ち上がりこそ制球に乱れをみせたものの、140キロ台の威力ある速球と、得意のフォークボールを軸に六回から5連続三振を奪うなど、打者30人に対し110球を投げ、11奪三振。3四球と失策出塁1個に抑えた。ドジャース時代の1996年9月17日のロッキーズ戦以来とさ。
(GYO HERO HIRO)
 花粉症対策!?
真っ白いマスク、洗眼用ボトルを配給してくれました。
「毎日、大変ですね…、これをお使いくださいね。」
順番を待って貰いました。
なかなか味なことをやるんだな、でもここはどこなんだろう?
公民館のような雰囲気のところだから、きっとお役所の関係なんだろうと思いつつ…。

昨日見た夢でした。
(GYO HERO HIRO)
 大根餅って!?
いきなり「大根餅って知っている?」
これからメジャーになるんだそうです!?中華料理のファンならば一度は食した当たり前の御餅らしいのです。
早速ホームページで探してみたら『萬珍楼』のトップで紹介されていました。
さらに、Yahooのレスピでも紹介されていました。
正体は、ロースハム、みじん切りの干しエビと3〜4cm長さの細切りダイコン、みじん切りの青ネギ等を、丸めたまあるい御餅だそうです。
香ばしく焼いて、練り辛子、辣椒醤(チリソース)、醤油をつけて食べるものだそうですが…。
 大雪の箱根越え
天候を気にしながらの東京・渋谷入り。
所用を無事終えて帰途についた頃から、「あれ、雪?」と思ったのもつかの間でバサバサ降って来るではありませんか。
世田谷付近で周りを見ればかなり前から降り出したのかかぁるく雪が積もっているのです。
「わぁっ、凄いぞ!」なんて小躍りしながら東名高速へ。 雪はまいっそう激しくバサバサ降っています。
御殿場のチェーン規制の表示が幾度となく目にとまり、
「とはいっても、ノーマルで行けるんでは…、御殿場を越えればこっちのものさ。」
ノーテンキで雪の中を颯爽と走る心地よさに大満足でした。
でも、なんだかまわりの積もり具合を見るとやっぱり不安さが残り、交通情報を聴きながら、
「この際,チェーンをつけて走行してみよう」と意を決し、
「厚木のICでおりてチェーン買おう。」
「ふむふむ、万が一の車中泊のために燃料も満タンにしなくては…云々」等など雪対策を、ノーテンキに考えICを出ました。

スタンドを廻る事数件目にして、ありましたありました、
ここで初めてチェーンを購入し、ついでに「チェーンなんて生まれて始めてみるので着けてくださーい。」
無事チェーンとGASは万全、厚木ICへ戻り…、
「あれ、ICを目前にして車が数珠繋ぎで進めないのです、「いやぁ、はまりましたね」
不安そうに車中を出て前方に様子を見に行く人達を尻目に、この時の為にと「ザウルス」のゲームに挑戦しました。
2時間ほどしてやっと動き出したところ、ICの入り口で「通行止めでーす、迂回して下さいーい。」無常にも追い返され、一路「箱根新道」向け。
とにかく、雪の降りしきる中、綺麗、凄いの感嘆で興奮気味に走行したのです。
「箱根新道」の入り口では、幾人の職員に「チェーンを着けてますか?」等と聞かれ、箱根のお山に登って行きました。
とにかく、普段のお山と違いあたり一面が銀世界、素敵な世界に入ってなおいっそうに昂ぶるのでした。

(^.^;);このあと、箱根のお山の白い世界に感涙し、後続車両の追い越しにチョット譲ったとたん、
「ズサン」と山側の側溝に左両輪が落ちてしまいました、「アレーッ、なんてこった」、どうにもならない後の祭り。
「どうしたものだろうか…」、不謹慎にも写真に撮っておこうかと思っているうちに、後続のトラックがやってきてので引上げを依頼、
「とても無理でーす、除雪車なら馬力があるので頼んだらどうか…」、おーっと言っているうちに除雪車がきました、
「おねがーいしますっ!」、「やだ!」といってると今度はレッカー車が前から来ました、
さすが箱根のお山は準備が良く手馴れたもんだなと感心しました。
レッカー車から運転していた人が降りてきて、
「おー、あんたがそうか、やあ俺が追い越した車がはまったって後ろの車から携帯に電話がかかってきたので戻ってきたんだ…。」
そういえば追い越しのとき2台の車が…。
そんなこんなで、おかげさまでUNICで引上げてもらいました、皆さん有難うございます。
箱根の真っ白の綺麗なお山の印象を胸に抱いたまま帰投できました。
 
謹賀新年
新年明けましておめでとうございます
穏やかに迎えた21世紀は、皆様にとって素晴らしく希望に満ち満ちた世界が広がっています。
この世紀を次の世代へより美しいものとして伝えて行く道に第一歩を踏み出しました。
本年も皆様の相変わりませぬご愛顧をお願い申し上げます。
神楽と流星の里(南信濃村 上村)
 12月になると遠くに見える山々が白くなってくるのが眺められます。
そして、その山々の向こうにある神楽と流星の里の光景を感じるのです。
古くより遠山(南信濃村、上村)地方に伝わる神楽は、一瞬にして私を数世紀タイムスリップさせてしまうのです。
12月(霜月)の寒のなか、煮えたぎった湯、燃えさかる炎の中で集まった人々は、
老若男女を問わずに手に弊を持って舞う人に合わせて「くんも(こんぼ)とのぼれ湯を召しませ!」と神をたたえ、
次々に繰り出す「お面」の異様な姿は、はかり知れない時代の流れと自然の中の神への威厳と畏敬を感じさせ、
人の心の奥底にある深い根源に迫り、生きることへの本末を呼び起こさせてくれるのです。

霜月祭あるいは「遠山祭」と呼ばれているこの祭は、昭和27年に県の重要無形文化財に指定、
昭和29年岩波映画社と共同制作映画「山のまつり」によって広く紹介され、
昭和54年2月には文部大臣により、重要無形民俗文化財に指定されています。
南信濃村 上村 紹介ページ 詳細 
10月は神無月、神在月?
 出雲に近づくにつれ、緊張感がはしる。
 それは求めていたものにやっと出会えるある種の心安らぐ不思議な緊張感であった。
 あの弥彦山にも似た出雲の山は、その不思議感をみょうに納得させ、
 平地に清楚と構えた姿は、ある種の気高さを感じさせるのであった。
 神々が宿る御山と言い切ってしまいそうなものである。
 風にそよぐ木々一つ一つに生命を感じ、終始圧倒されるのでした。
 やっと逢えると身震いがしてくる、わが日本の心のふるさと出雲である。

 神在月に、全国の神々が参集し、その神々様のお宿が右の写真の十九社である。
 普段は八百万の神々様の遥拝所なので一度にたくさんの神様にお参りできるというわけである。
 なんとも合理的なところではないのか。
 水、悠々の山陰松江
ジョホルバルを想い起こさせる「松江」。
宍道湖大橋は、さしづめ…。
ジョホルバルを想い起こさせる「松江」。宍道湖大橋は、さしづめ…。
日本海側独特なダークな空は、時間とともに気持ちを落ち着かせる。ここはまさに北方のジョホルバル。
異様とさえ感じる街並みは、煙草の吸殻が見つからないせいなのだろうか。
先達は、松江を皆美しく称える。


松江はその窓と壁と露台とをより美しく眺めしめるべきおおいなる天恵

ヴェネティアをしてヴェネティアたらしむる水を有している
                             芥川龍之介『松江印象記』
ひと夏、山陰松江に暮らしたことがある…私はここでできるだけ簡素な暮らしをした。
人と人との交渉で疲れきった都会の生活から来ると、大変心が安まった。
                             志賀直哉『濠端の住まい』

すてきな出来事
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今回は、エオリアンハープの「ピアノがとっても好きになるお話」からすてきな出来事のお話です。
エオリアンハープ
素敵な出来事
 私は少し前に、東京のブリジストン美術館に、安井曾太郎(1888〜1955)の「文芸春秋」表紙絵の展覧会に行ってきました。彼は晩年の1947年から1955年にかけて同誌の表紙を手がけ、今回は表紙原画86点が展示されました。独特の色彩感覚を味わえる〈花〉や〈ペルシャの壷〉、それに孫の美乃さんを描いた作品など、日常のふとした場面をとらえた作品が、その時代の世相の一端や四季折々の表情を感じさせてくれました。
 1888年京都に生まれた安井は、1903年に画家をこころざし京都市立商等学校を中退し、翌年に聖護院洋画研究所に入門しました。この研究所では、同じくのちに日本を代表する画家となる梅原龍三郎が同級生で、その後二人はライバルとして活躍します。1907年にフランスに渡り、入学したアカデミー・ジュリアンでは毎月のデッサンのコンクールで賞を独占していました。1910年に同校をやめて自由製作を続け、ミレー、ピサロ、とくにセザンヌに傾倒していました。  1914年に帰国し、…。
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(GYO HERO HIRO)
魚屋さんと猫!
魚屋さんと猫の関係は、昔から相反する関係かと思っていました。
ところがこの関係を超え友好的なものとしてお互いに仲良くやっている魚屋さんと猫を発見しました。
魚屋さんの店先で”ねこ”を見張る猫は、風に吹かれて右に左に店先で働いていました。

画面中央の下ににゃんとも猫さんが働いているのがご覧いただけましたでしょうか。(GYO HERO HIRO)
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ピンチはチャンス!
 やきとり 炭火焼 ひろ
20歳のわかきを持って貿易部品会社で将来を託してきたが、バブルのあおりでリストラの洗礼を受けたひろさん。人生にして○○回目のピンチ!
七転八倒の試行錯誤から、ひろさんは
、前々からの「やきとりやをやりたーいっ」の夢へのきっかけ、チャンスとし、今年の2月27日に念願かなってオープンの運びになりました。その名も「やきとり 炭火焼 ひろ」でした。偶然行った店先で、ひろさんは1本1本の仕込みから真剣勝負していました。
リストラを逆手に取ったその30余年の人生の味を、炭火でじわーっとピンチで焼き上げた「ひろのやきとり」は、どんな味なのかとても興味が湧いてきました。
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